「こころの問題」は昭和初期に置き去りにされたまま
前回の手話と口話「どちらも大切」で、精神的な問題については昭和初期と比べて解決しているのでしょうか?と書きました。
昭和初期に口話教育主導に反対した大阪市立聾唖学校校長の高橋潔先生が一番重視していたのが、ろう児への情緒教育と宗教教育、現在でいう、こころの問題でした。
当時の状況を見ると、難聴・聴覚障害者で自己肯定感の低さや他者に対して攻撃的になるなどの話がありました。
中途失聴者や難聴者の方のコミュニケーション不全などからなりやすいもので、強いストレスや攻撃的な性格、歪んでいる自己評価とアイデンティティ、対人関係を避けるようになるなど、精神的な問題を知ればはるかに重大だと気づきます。
しかし、昭和初期以降、まったく手つかずのままです。
コミュニケーション不全もそうですが、鍵となる、聞こえの問題から来る「こころの問題」の適切な緩和に必要な技法や「いかに信頼できる人間関係を築くか?」といった哲学から、取り組む必要があります。
それらが全て、戦後の科学万能信仰主義で「科学的根拠がない」と否定して、置き去りにしてしまった結果ではないでしょうか?問題にするなら、この辺りではないかと思います。
実際、マスコミなどは「氣」とも呼ばれるエネルギーの存在を無視して、非科学的、インチキ扱いしてきました。
残念ながら、現在のろう学校関係者もこの問題はわかっているけれど、公立の教育機関である以上、できないと聞きました。
難聴者協会やろう者協会でも解決できません。
わたしが地域の難聴者協会で役員をしていた時、当時の会長に「難聴者運動より、こころの問題の解決を優先すべきではないのですか?」を提言したところ、新興宗教のすることだと却下されました。
うつやパニックに「精神科に行けばいい」と言われた人もいます。
多くの精神科では薬を処方するだけです。薬もその場しのぎでしかありません。
症状がよけいひどくなり、精神病院に入院したままになったり、内臓を悪くした方もいました。
これが現状ですから、自分でなんとかするしかありません。
どうやって?
実は現在の臨床心理学は分析できても、打つ手がない状態です。
お手上げなのです。
こころの問題は聞こえる人の感覚では対処不可能ですし、人間の限られた頭で考えても、解決できるものではないから当然といえば当然です。
実際、難聴・聴覚障害の問題はカウンセリングやピアカウンセリングでの解決は難しく、従来の方法では解決できないのが現状です。
こころの問題は個人で向き合い、自分の身体のエネルギーも併せて解決していくしかありませんが、多くの方がどうしたらできるのか、わからず、くさいものにフタをしてしまっているのです。
ところが、私が行っている難聴メンタルコーチに「ダメでももともと」と、来られた方は例外なく、手がかりを得て喜んで帰って行かれます。
手前味噌な話ですが、わたしも一度だけで、完璧ということはありません。
ただ、それまでは停滞していたずらに時間とお金を無駄にするだけだったのが、一歩動き出すと変わっていかれます。
実際にある方は自分に合わない職場で、スキルが活用できず、対人関係もうまくいかず、自殺も考えたり、会社を辞める寸前でした。
ご縁から難聴メンタルコーチのセッションを重ねて受けた結果、異動になり、職を辞めずに済み、スキルを無駄にしたり、収入を失わずに済んだ、セッション料金は高いが、それ以上に得られたもの方が大きかったとと感謝されました。
わたしがこうしたことができるのは、こころの問題の解決と克服を難聴者協会やろう者協会に依存せず、福祉制度をあてにしなかったことです。
ここでほとんどの人は「努力して本を読んで勉強して、聴覚障害を克服していった・・」と感動的な物語を期待するのですが、本を読むだけでは、わかったようで1%もわかりませんでした(笑)
そんなものではありません。
大きかったのは自ら自腹を切って、8万円するセミナーなどをくり返し受講したり、起業して1億円の市場開拓を自分の甘さからパーにされて、どん底に落ちて、人間の心理的な仕組みの学びとヒーリング技法を学び、15年以上かけて、「解決力」を積み重ねていったことが一番、大きかったと断言します。
経験しないとわからない事の方が多く、机上の理論では対応できません。
2014年3月のいわゆる「佐村河内守ゴーストライター騒動」でのマスコミの報道のおかしさに黙る当事者が多い中、はっきりと向き合い、指摘した結果、沈静化していったのもこうした経験の蓄積があったからです。