こころの夜明けへ

「人生の袋小路へ」からの続き

自然に導かれる

 2009年はじめ、私は「何か学ぶ事があるはずだ」と思いつつも、

 「子供の頃から頑張って、頑張って努力してきたのにどうしてうまくいかなかったのだろう」
 「人生は苦しむためにあるのか?」

 と自信を持てなくなっていました。そんな自分がいやで、自分を責めることもしばしばでした。

経済的にも困窮して、仕事を探して市役所のパートタイムの仕事で一度OKが出たにも係わらず、1ヶ月以上放置され、連絡すると担当から「あなたは電話ができないから、私は責任が持てない」と言われ、怒って怒鳴りつけた事もありました。

今からみると、恥ずかしい事ですが、自己肯定できない事から来る苛立ちを他人にぶつけていたのです。

そんな私の話を人づてに聞いた、市内にあるビルメンテナンス業の天台宗の僧侶でもある新井孝行さんの紹介で、2009年の4月末から、ある国の施設で警備の仕事をするようになりました。

警備の仕事

私は早朝と夜の仕事をして、ガタガタになった生活の再建を始めました。

自信がなく、慣れない警備の仕事では何度も失敗しました。
その都度、「ああ、クビになるかもしれない」と不安になりましたが、新井孝行さんをはじめ、職場の所長やみなさんに励まされ、だんだんと、仕事を任せていただけるようになっていきました。

会社を辞めた経験から「何かあるとクビになる」と記憶に刷り込んでいたのでしょうね。本当にありがたかったです。

その頃から何をやってもうまくいかない、「精神的な閉塞感」を自分で解決しようと、心理セルフワークが掲載されている本を買ってきて、実施していました。

しかし、実施しても数日もすると不安がわいて来て、元の状態に戻ってしまうのです。心からの警告ランプが常時点灯して苦しい状態でした。

「この方法ではどうか」「ダメだった」

そんな繰り返しを続けて、とうとう精神的に行き詰まってしまいました。

2009年末の事でした。

異業種交流会で知り合った、関西では有名なセラピストである滝ノーラさん(現一般社団法人日本セラピスト支援協会代表理事)に相談すると「その状態だと、自分の力で頑張って解決するのは難しいから、人の助けを借りてヒーリングできるようにするといいですよ。」とアドバイスを受けました。

「ヒーリング?効果あるのか?」

それまでレイキの話は多少聞いたことはあったけど、全く接点がありませんでした。後に滝ノーラさんたちには大笑いされましたが、当時は「怪しい」と思っていました。

もう自分の力ではどうにもならない状態に追い込まれ、自然と導かれた感じでした。

私は改めて、レイキについてどういうものかを調べて、信頼できるレイキティーチャーを探して、2010年2月14日、京都市内でアチューメントを受け、併せてヒーリングのセッションを受けました。

レイキ・ティーチャーである、ひかり。先生のアチューメントとヒーリングを受けた時、自分のみぞおちより下が「ガシン!」と再びつながった感じがしました。

「ひかり。」先生によれば「みぞおちから下のチャクラが切れていた」そうです。チャクラはヨガでもおなじみ、人間の体のエネルギーをつかさどる精密なシステムです。これが弱ったりすると命にもかかわってきます。

科学だけでははかりしれない出来事でした。

私は人間の常識を超えた、大きな変化が起こる事には気付いていませんでした。

料金は当時のわたしにとっては簡単に出せるような金額ではありませんでしたが、おもいきって出した結果、わたしには大きな転換をもたらしました。

でてきた「鬼」

夜明けへ

私はアチューメントを受けてから、身体が活性化されたのか、オナラがやたらと出るようになっていました。ストレスから来る体内の毒素を出してくれていたのだと思います。

気分もうつとパニックが急速に弱まっているのを感じていました。
アチューメントから2週間が過ぎた2月28日の日曜日のことです。

私は警備の仕事で構内の定時巡回を追えて、待機に入ろうとベンチに腰掛けていました。

突然、強烈な身体の痛みと共に「自分を殺す」衝動が湧き出てきました。これまで精神的に辛く、死にたくなる事が何度かありましたが、今度は明らかに自分を殺そうとしていました。

刃物か道具が近くにあったら大変でしたが、幸いにしてその時は周囲は何もなく、誰もおらず、屋外でした。

私は身体に感じるあまりの痛さに涙が出ました。

心臓に手を当てながら、研究していた心理学の方法で「対話」をしていきます。

「大丈夫、怖がらなくていいよ」となだめていいきかせるのですが、なかなか聞いてくれません。

心臓の鼓動がますます早くなり、大爆発したように記憶のフラッシュバックが起こりました。脳裏に30年前からの過去の記憶が次々と鮮明によみがえりました。

聴覚障害児である自分が幼い頃から「頑張れ」「健常者並になれない」「できない」と責められて『違う』と言えなかった記憶、高校生の頃にした登校拒否、社会に出てから、できるはずなのにできない事でどうしたらいいのかわからず、惨めな思いをしていた記憶、自分に腹を立てて、自分を責めてきた記憶が蘇りました。

長い間自分を嫌い、無視して、押さえ込み、忘れようとしていた感情でした。その記憶が映像のように繰り返し、フラッシュバックしていました。

昔の自分が押さえ込んでいた行き場のない感情に痛くて、辛くて涙が出てきました。私は「自分を自分で殺そうとする」感覚をじっくり味わいました。

「辛かったでしょう?ごめんなさい」と呼び掛けました。

やがて、記憶の「フラッシュバック」が収まりました。
私の意識が遠くなっていきました。

「鬼」の正体

意識が遠くなると、無意識に近くに「何か」がいるのを感じました。
心理学でも言われる、「インナーチャイルド(小さな子供)」が『もう自分の居場所がない』と言って、私の中から出て行こうとしているのがわかりました。

「出て行かなくていいよ、ここにいていいんだよ。あなたは僕の一部なんだから。」

と呼び掛けました。

「小さな子供」はおそるおそる尋ねてきました。

『いていいの?』

私を殺そうと強烈な痛みとフラッシュバックで辛い感情を味わわせたので、再び閉じ込められるのが怖かったのかもしれません。

私は答えました。

「もう怒っていないよ。もう大丈夫だよ。いていいんだよ。こちらこそ長い間、本当にごめんよ。」

意識が遠ざかっている奇妙な感覚の中、確かに自分の中に「小さな子供」が戻ってくるのを感じました。私が意識を取り戻した時、30分しか経過していませんでしたが、もっと長い時間だったと感じていました。

涙と鼻水が出て、2月の寒い日で、屋外であるにも関わらず、シャツが汗で濡れていました。

昔から人間は心に凶暴な「鬼」がいると言われますが、私が経験したのは間違いなくそれでした。

聴覚障害者としての自分を否定して、自分が「健常者並に」になることはどうやってもできないことなのに、それができない自分をさらに否定して、いじめ続けた結果として、それが「鬼」に豹変していました。

同時に私の心にあった「心の壁」や「閉塞感」などの湧き出ていたマイナスな感情の多くが、実は「鬼」が暴れ出さないようにするための「安全装置」の役割を果たしていたことに気付きました。

私がヒーリングができるようになり、「高次の存在」がもう大丈夫だろうと、「安全装置」を解除したのでしょう。

その後、まもなく2010年3月末、警備の仕事が『あなたが警備の仕事をしているのは似合わない』といわんばかりに強制的に「卒業」になりました。

ようやく仕事に慣れてきて、継続のための警備職研修を受けて、仕事が職員全員に好評であり、「前川さんは続けてくれる」と思っていたそうで、課長も困惑していました。

「長い闇」にあった私のこころは夜明けを迎えていました。

「こころの変容へ」 続く