聞こえないだけでなく「精神面への影響」が大きい

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前回の手話も口話も万能ではないで失聴時の年齢や教育を受けた世代や個人差もありますが、口話ができても、語彙が弱いため、読み書きの力が十分ではない人も多くいることも書きました。その続きです。

結論からかくと、ろう者だから読み書きの力が弱いとは一概にいえません。事情は個人によりけりです。

読み書きの力が弱い人にはろう学校在学中に勉強しなかったり、素行の悪さで退学になった人もいます。その人は口話も手話もできるのですが、日本語の読み書きとなるとてんでダメです。

てにをはの使い方や主語と述語の関係が間違っていることもあります。

日本語の読み書きの苦手な方からのメールをいただくことがありますが、文章の主語と動詞の意味がわからず、意図しない別の意味になっている場合があります。

わたしは聴覚口話訓練を小学校5年生まで毎日続けて、日本語も書けるようになりましたが、成人して社会に出てから自分の語彙力とコミュニケーション力、メンタル面が弱いことに気づき、語彙と表現力、自腹を切って学び、磨いてきました。

私の場合、発音でサ行など聞きづらい声や「なまり」があり、騒がしい所やマイクを使うと意識しないうちに声が崩れてしまうなど困った事もあります。これは脳で自分の声を聞いて無意識に発音を調整しているのが、聞こえないから調整できなくなるためです。

自分の声が聞こえない事、他人の話の内容がわからないことは聞こえる人が考える以上に、精神的に辛いものがあります。

自己肯定感が低下したり、鬱やパニックなど心の病も引き起こしやすくなります。

難聴や聴覚障害が精神面に与える影響がよく知られていないことから「訓練さえすれば、健聴者並になれるはず」と思い込み、「努力が足りない」、「怠けている」と決めつけてしまう人もいます。

「訓練さえすれば、健聴者並になれるはず」とばかりに、過度な力と頑張りの過程で聞こえない自分を否定されていった結果、心が折れて、自信がもてなくなってしまう人もいます。

ゴールポストに近づくと遠ざかり、いつまでも近づけないので「いつまで頑張ればいいんだ!?」と怒っている様子を想像してもらえるとわかりやすいと思います。

その努力と頑張りを美談的に賞賛する人もいます。

しかし、難聴や聴覚障害の問題はこの人がうまくいったからといって、単純に努力と頑張りさえすれば、健常者並になれるものではありません。

わたしもそうですが、重度の聴覚障害児の聴覚口話訓練が成功しても、聞くことが不自由なことに変わりはないのです。

とくにコミュニケーションにおいては他人の話がわからないことから、疎外感を感じることも多くあります。

これらは「コミュニケーションの壁」そして、「精神的な壁」とも呼ばれるほど、精神面に与える影響は大きいのです。

人間はひとりきりで無音室に放り込まれたら、ほとんどの人が数時間で精神的におかしくなり、孤独感など耐えられないことがわかっています。

わたしも難聴メンタルコーチで適切なコーチを行っていますが、こられる方の話をお聞きしますと、従来の福祉制度や臨床心理士、カウンセリングではまず対処できないと痛感することも珍しくありません。

とくに考えることが堂々巡りしている状態で、ひたすらマイナス思考だけに時間を無駄にしていることに気づかない方も多いのです。
マイナス思考よりプラス思考の方がいいと、頭ではわかっていても、自分でも止められない、思考がループしている状態にある方も珍しくありません。

聴覚障害児への「口話教育万能論」「手話教育万能論」は両方とも「学習言語の獲得」が困難であるだけでなく、「コミュニケーションの壁」「精神的な壁」の克服が求められることに気づきます。

じゃあ、国民全員が手話を覚えることを奨励したり、義務にするなど、解決方法にすればいいじゃないかという話が出てきます。

実は抜け落ちている話があるので次で書きましょう。

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