なぜ口話教育が始まったのか1

画像の説明

今回から、なぜ口話教育が始まったのかを3回連続で書きます。
当時の聾学校の授業で手話を使う事を「禁止」させた原因は一言で言えば「無知と思い込み」でしょう。

当時の社会の聴覚障害に対する無知や誤解からくる偏見と、舶来信仰と科学的根拠があれば、そして聴覚障害者が努力して健聴者並になれば、解決できると思い込んでしまったことが原因です。

あまり知られていないことですが、聾学校で手話を使う事を禁止したのは当時の社会にあった偏見に対する答えでした。

そして、日本語を取得できていない段階で手話を使うと、日本語の読み書きが獲得できなくなる可能性が指摘されていた事から、児童を混乱させない目的もありました。

京都府立聾学校創立者古河太四郎先生が明治時代に盲亞教育として、目の見えない子供と耳が聞こえない子供達の教育に着手した時、手話教育と口話教育を併用した試行錯誤が始まりました。

当時は手話教育と口話教育の両方とも必要だという認識だったのです。

明治11年(1887年)に古河太四郎先生が考案した発音起源図をはじめとする当時の教材が京都府立聾学校に保存されています。

わたしも京都府立聾学校でこの明治時代の資料を特別に見せていただきましたが、形を変えたものはあるけれど、現在も使われていることに驚きました。

京都府立聾学校元教師の故岡本稲丸先生曰く、明治時代に考案された技術が伝承され、改良されつつ今日まで伝わったと考えられるとのことでした。

口話教育は滋賀県立聾話学校創立者である西川吉之助先生の娘のはま子の教育が成功して、ラジオ放送で話ができたことで「聾唖の子供がしゃべれるようになった!」をきっかけに注目を浴びました。

西川吉之助先生は欧米から口話教育に関する資料を個人輸入で取り寄せたといわれます。当時は高額なものばかりで、当時の西川吉之助先生の家がニシン漁で成功した裕福な家だったことからできたと言われます。

西川吉之助先生はなぜ口話教育を個人で取り入れたのでしょうか?
それは次回に^^

お読みいただきありがとうございます。「そうだったのか!」と思ったら、シェアを!

コメント


認証コード2155

コメントは管理者の承認後に表示されます。