人生の袋小路へ

起業へ」からの続き

経済的に困窮

 S氏から「耳のケア商品は不評で多く出ていない、利益が出ていない」という理由で相変わらず報酬はなく、生活も厳しい状態でした。

 T氏は私の知らない所で、S氏とお金を巡るトラブルになり、仲違いして辞めていました。

 S氏に売り上げを見せろというと、のらりくらりとかわされたり、逆ギレする有様で、当時は耳のケア商品はS氏にしか作れないと言い聞かされており、機嫌をそこねることを怖れて、強く言えない状態にありました。

 個人のお客様から私に直接、注文があっても、通販で販売されている方に利益をあげてもらおうと、通販で販売されている方に注文してもらうようお願いしていました。

 収入がほとんど入らない生活で、電気やガスを極力使わず、お風呂も桶1杯で済ませたり、寒い時の暖房も我慢していましたが、住む所があるだけでもありがたいと思いつつ、「明日のご飯がないなあ」という時もありました。

 幸いにして仲良くなった農家のおばあちゃんから規格外の野菜をもらったりしていました。ご主人であるおじいちゃんが大東亜戦争でビルマに行っていた方で、お二人から当時の事や地域の事をいろいろと教えてくれました。

 健康状態はというと、時々精神的に辛くなることがある以外は健康でした。

 私が作成、書いたホームページの話を通じて雑誌やラジオなどマスコミの方が紹介してくださる事が多くありました。

「KANSAI一週間」2008年5月号記事

 ホームページの私の話をご覧になった、大手ITベンダーY社から、メールでの連絡が入り、商談がしたいとの話がありました。

 担当の方とはメールできちんとした話ができて、とりまとめという時になって、S氏は「あなたは電話ができないから、ワシがやる」と話を取り上げました。わけのわからない話になり、商談は打ち切りになってしまいました。

 私は話を潰されて、抗議しましたが、S氏は逆ギレして、わけのわからない事を言いました。こうした事が相次ぎ、私はS氏に貸した合計500万円以上の金額のお金を全て返してもらおうと決めました。

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暴かれた「嘘」

 2008年6月の事です。
 S氏からお金を返してもらおうとすると、「耳のケア商品は不評で収益が出ていない。販売店から代金を回収できていない。」と言ってきました。「私が回収に出るから、店を教えてください。」と強く返事すると、嘘をついていたことがわかりました。

 「これまでの売り上げを見せてください」と問い詰めると、わけのわからない事を言って逆ギレしました。私は途方に暮れて、関わりのある他の人達に相談してみました。

 S氏から他の人達についてあまりよくない話ばかり聞かされていたので、警戒しながら話をすると、つじつまの合わない話がある事に気づき、話をすりあわせていくと、他の人達も大変な目に遭っている事がわかりました。

 私が考案した耳のケア商品ではなく、S氏個人が「不評」であるなど、多くの嘘がわかりました。

 S氏は自分で営業開拓をせず、私がとった注文の売り上げを「私的流用」したり、詐欺まがいにお金を引っ張っていたこと、辞めたT氏も同じような事をしていた事がわかりました。

 S氏は私に断りもなく、商品の製造に協力してくれた製薬会社を「自分の都合」で切り捨てて、商品が十分に供給できない状態になっていた事など、詐欺まがいの事をして、お世話になった方々の顔に泥を塗り、後ろ足で砂をかけたりしている事がつぎつぎと明るみになりました。

 関係者全員が全員がS氏に嘘を吹き込まれており、「コミュニケーション不全状態」に置かれていた事がわかりました。聴覚障害者がコミュニケーション不全によってだまされる話はありますが、健聴者でも状況によっては起こりえるのだと気付きました。

 私はあまりの状況に逃げ出したくなりましたが、S氏のため大変な目にあっていた人達から「ここが君の正念場だ!腹をくくれ!」と強く励まされました。

 2008年8月、説明と連絡をとることを拒否していたS氏は家族もろとも「転居先不明」となりました。
 S氏が商品を「密造」して販売を続けようとしている可能性があり、そのままだと大変な事になる事は明らかでした。

 「S氏は自分がうまくいかないのを他人のせいにする、いわば『貧乏逆恨み症候群』だ」と以前に詐欺まがいの事をやって失敗して逃げていたS氏が再起する機会を提供してくれた人達からは厳しい言葉が出ました。

 しかし、私が世間知らず、コミュニケーションに消極的であった事で招いたことでした。結果論になりますが、その前兆はありました。

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会社を「潰す」ことを決意

 ホームページを設置した時、私の顔写真を掲載した時、S氏とT氏の写真を載せようとした時、「絶対に載せるな」と拒否してきました。
 私は当時から顔写真をはっきり載せていますが、自信が無かったり、後ろめたい事をしている人は自分の顔写真をネット上に載せたがらない、あるいは出せないのです。

 また、ライブドア事件の時に堀江貴文さんが逮捕された時、真っ先にホームページの堀江さんの写真と話を削除しろとつじつまの合わないことを言ってきたことです。明らかに自分の存在が不特定多数に知られることを怖れていました。

 こうした前兆やつじつまの合わない話に気付かず、商品の供給でS氏の機嫌を損ねることを怖れて言いなりになっていた私の責任が消えるわけではありません。

 腹をくくって、多少ながらあった収入と市場がなくなること、それ以上に自分の「信用」が無くなる事も覚悟しました。

 私は関係者の方々にこれ以上迷惑をかけないために、会社を辞めて販売していた耳のケア商品の権利を全て引き上げ、生産中止にして、育ててきた会社を「潰す」事を決めました。

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信用を守れ!

 S氏に連絡がつかなくなったため、販売店の方がホームページを通じて、私に連絡をくださいました。

 私は1人1人にお詫びして、事情を説明していきました。
 多くの事実が明らかになりました。

 耳のケア商品は好評で売れており、多くの方に喜ばれていた事がわかりました。
 とくに東北地方の販売店からは耳のケアだけでなく、しもやけやひび、アカギレなどのケアにも使える「肌水」としても使われている事を教えられました。

 関係者の方々へお詫びに伺って、初めてわかった事実も多くありました。

 S氏が「自分にしかできない特殊な技術」と称していた、「ミネラル原液」の本当の考案・開発者である嶋西淺男先生の「弟子」であった頃に教えられた技術を「ワシが後継者だ!」「耳のケア商品はワシが商品化した」と周囲に詐称していた事がわかりました。

 「耳のケア商品」もS氏が嶋西先生に無断で製造販売を行っていた事もわかりました。

 薬剤師でもあった嶋西浅男先生は、30年近い試行錯誤の末、この「ミネラル原液」の製造方法を考案・開発されました。この原液を「信頼できる形で生産・供給して、農業、漁業、工業、環境保護、医療・健康など、あらゆる所に広く普及して役に立てていきたい」と真剣に願っていました。

 この「ミネラル原液」が平成5年の冷害の時、冷害に襲われた地域で「ミネラル原液」が使われた田んぼで稲が大量にとれた事がテレビや雑誌などのマスコミに報道され、広がり始めていました。

フラッシュ 嶋西淺男先生フラッシュ 嶋西淺男先生

 門下にあったS氏ら「腹黒い欲」を持った一部の者達が、嶋西先生の願いをないがしろにして、製造と供給を独占しようとてきた事。

 人を人と思わず、都合のいい人だけを利用して、真面目にしてきた人達を潰し、苦しめてきたのもS氏らであった事が判明しました。

 一攫千金をもくろみ、足を引っ張り合い、無断で製造販売して、業界の正常な発展を妨害して、その評判と嶋西先生の名誉を汚してきた事が明るみになりました。

 自分の願いをないがしろにされた嶋西先生の内心は辛かっただろうと思いました。嶋西先生はそれでも「前向きに次に行こう」と話してくれました。

2008年9月8日 嶋西先生と

 有り難いことに嶋西先生からは耳のケア商品は私が製造販売してよいと権利を持つ許可をいただきました。多くの方々からは「再販を待っています」と言われました。涙が出るほどうれしく思いました。

 個人的な信用こそ守られましたが、私は育てていた事業と500万円以上の投資、2億円の市場の構築はパーになり、少なくない借金が残りました。痛い授業料でした。

 頑張って、頑張ってきたにもかかわらず、積み上げてきた事が全てゼロ、いやマイナスにひっくり返ってしまいました。

 「言い訳はしない。全て自分の責任だ」と頭で理解していても、これから先どうなるのか先が見えない不安な状態でした。

 「こころの夜明けへ」 に続く

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